由緒
奈良時代末期に春日社(現在の春日大社)から勧請されたとされ、延暦7年(788年)に第50代 桓武天皇の命を受けた陸奥按察使/鎮守副将軍「多治比 宇美(海/宇佐美とも)」公が訪れた際、弟の「比宇斯」によって奉斎されたと伝えられています。
その後、宝永6年(1709年)に福島藩主 板倉候が神鏡1面、太刀1振を奉納。文化7年(1810年)には、前年の信夫郡五十一郷惣社大宮司 丹治相模守平行政からの願い出を受け、文位「正一位(神社に与えられる位階の最高位)」の神階を得ました。明治4年(1871年)の太政官布告における社格は「村社」に位置づけられています。
- 安永6年(1777)10月19日|社殿造営
- 寛政7年(1795)|拝殿造営
- 文化4年(1807)|本殿造営
- 文化8年(1811)|正一位神階奉告祭
- 文政13年(1830)|宝蔵庫造営
昭和51年1月に不審火による火災で社殿が全焼した際には、氏子のみならず多くの協力を得て同年10月に見事再建。盛大な奉祝祭を行うなど、1,200年以上の長きにわたり黒岩地区および近隣地域の鎮守として尊び親しまれてきました。毎年10月第3日曜日に行う例大祭では、黒岩地区の小学生が稚児舞や太鼓演奏を奉納します。
御祭神
大日孁尊(オオヒルメノミコト)
天照大神(あまてらすおおかみ)の別称。
ご利益
国土安泰、子孫繁栄、五穀豊穣、開運などあらゆる願い
天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
春日権現、春日大明神とも称される祝詞(のりと)の神様。
ご利益
国土安泰、家内安全、学業成就、立身出世など
武甕槌命(タケミカヅチノミコト)
春日大社の主祭神の1柱で春日神(かすがのかみ)とも呼ばれる。
ご利益
国家鎮護、武芸上達、旅行安全、勝利祈願、病気平癒、厄除けなど
経津主命(フツヌシノミコト)
春日神の1柱で武甕槌命と並び称される武の神、剣神。
ご利益
交通安全、安産、厄除け、縁結び、武運長久など
宝物
- 正一位神階文書
- 宝刀「無銘月山」(宝永6年板倉侯奉納)
- 宝刀「大和国行銘」(明治37年信夫郡長富田善吾氏奉納)
- お御輿(明治13年10月氏子一同奉納)