御祭神
建御名方命(タケミナカタノミコト)
由緒
御鎮座伝記によると、4世紀頃に日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)が東征の折にこの地を訪れた際、思わず見惚れてしまうような見事な景色を目の当たりにして「地相もよく、将来人々が健やかに暮らし大きく発展する地である」と感じとり、尊敬する建御名方神(諏訪大明神)を地域の守り神として鎮座させることを決定したとあります。
また史実としては以下のとおり。
- 貞享2年領主の堀田伊豆守が社殿が狭く小さいことを憂い、同年11月に改築をはじめる
- 貞享3年2月17日完成
- 元禄13年10月山火事で神社及び宝蔵を消失
- 元禄15年領主板倉甲斐守重寛および信濃坂本により移封、再建され、祭費を藩費で賄うと定めて毎年7月27日に祭典を行うと決める
- 寛政9年それまで鎮座していた伏拝の諏訪平から現在の場所(清水内)へ遷座
- 嘉永2年3月伏拝村の大火事で全焼、わずかに伝承を残して貴重な資料が焼失
- 氏子、領主、板倉内膳正に請願し、用材に加えて金20両(1両あたり数十~数百万円程度)を受けたことで同7年に造営され現在に至る
- 明治30年郷社に昇格する