古来より1,000年以上続く神事「夏越祭(なごしさい)」「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」の紹介です。
夏の風物詩といえる行事のひとつですが、現代ではあまり馴染みのない方も増えています。夏越祭(夏越の大祓)は、夏の暑さに負けず無病息災で1年を終えられるよう願う神事です。難しいことは何もありませんので、はじめての方もぜひご参加ください。
夏越祭/夏越の大祓では残り半年(下半期)の無病息災を祈る
夏越祭(夏越の大祓)は半年間で溜まった罪や穢(けがれ)を祓い清め、残りの半年を無病息災で過ごせるよう願う季節の行事です。元々は旧暦の6月30日に行われていました。現在の暦とは時期が若干異なるため、現在は6月30日、7月31日およびその近辺に行います。
夏越祭は、701年の大宝律令で宮中の年中行事に定められて以来続く伝統的な神事です。
大祓(おおはらえ)とは人々の罪や穢を祓い清める神事
大祓は、古事記に登場する神「イザナギノミコト」の禊祓(みそぎばらえ)が起源とされます。現在も「夏越の祓」「年越しの祓」の2つが続いていますが、年越しの祓は初詣などに置き換わっていおり、現在は夏越の大祓のみ行う神社が増えています。
時代に応じてさまざまな呼ばれ方があった
現代では「夏越」と呼ぶのが一般的ですが、ほかにもいくつか名称(呼称)があります。
- 夏越の祓
- 名越の祓
- 夏越神事
- 六月禊
宮中の年中行事に定められてから1,300年以上。長い歴史の中でさまざまな呼ばれ方が登場しています。
夏越祭/夏越の大祓の流れ
神社や地域によって細かな違いはありますが、夏越祭(夏越の大祓)は次のような流れで進行します。
夏越祭/夏越の大祓でやることは主に「茅の輪くぐり」「人形流し」の2つ
夏越祭(夏越の大祓)でやることは主に2つです。まずは全体の流れを紹介します。
- 人形流し(ひとがたながし)
- 人形に罪や穢を移し、川へ流して祓い清める
- 茅の輪くぐり(ちのわくぐり)
- 茅の輪をくぐり無病息災を願う
では、それぞれをもう少し詳しく紹介します。
人形流し(ひとがたながし)
夏越祭(夏越の大祓)では、罪や穢を「人形(ひとがた)」に移して川へ流したり、かがり火などでお焚き上げをしたりして祓い清めます。
- 人形に自分の名前を書く
- 体の調子が悪い部分を撫でる(罪や穢を移す)
- 神社へ納める
- 大祓の祈祷を行う
- 川へ流す、お焚き上げ
人間だけでなく、ペットや車のお祓いもできます。ペットの名前や車のナンバーを人形に書き込み、ペットの体や車体の前後(ナンバープレート)などに撫で付けてください。また地域によっては紙ではなく藁(わら)の人形を使うこともあります。
神社への納め方は、地域や神社によってまちまちです。自身で神社へ納めるところもあれば、地域の代表(総代、役員など)へ納める場合もあります。その地域のやり方を確認しましょう。
大自然の神々により罪や穢が清められる
川へ流した人形は、川の神様、水の神様、大海原の神様によって清められます。
茅の輪くぐり(ちのわくぐり)
茅の輪くぐりは夏越祭で最もよく行う行事であり、夏越祭(夏越の祓)といえば茅の輪くぐりのイメージがあるほど。参道や鳥居など、神社の結界内に茅(ちがや)で編んだ直径数メートルの輪「茅の輪」を作り、作法に則ってくぐることで無病息災を祈念します。
- 左回り、右回り、左回りと8の字を描くように茅の輪を3回くぐる
神社によっては「水無月の夏越の祓する人は、千歳の命延ぶというなり」と唱えながら茅の輪をくぐる場合もあります。
茅の輪には大きなご利益があるため持ち帰りたいと考える方もいるでしょうが、これにはさまざまな考え方があるため確認が必要です。参拝者の罪や穢が移ったものを持ち帰る=災厄を招くという考え方もあれば、移った罪や穢よりも浄化する作用のほうが強いとする考え方もあります。自身の考え方に加え、神社や地域の考え方などを参考にしてください。
茅の輪くぐりの由来は神話の神「スサノオノミコト」
『備後国風土記|蘇民将来説話』によると、茅の輪くぐりは日本神話に登場する神「スサノオノミコト」の恩返しに由来すると記されています。
あらすじ
北海に住む武塔の神は、南海に住む女性へ求婚するための旅に出ます。旅路の途中、日が暮れてしまったため一夜の宿を求めて蘇民将来(兄)、巨旦将来(弟)の兄弟に相談しました。
兄の蘇民将来の暮らしぶりは貧しく、とても客人をもてなす余裕はありません。一方、弟の巨旦将来は裕福な暮らしぶりで客人をもてなす余裕は十分ありますが、武塔の神の頼みを拒否。結局、貧しい暮らしながらも心優しい兄の蘇民将来が武塔の神を受け入れ、一夜の宿を貸すことに。
数年後、八人の子どもを連れた武塔の神が蘇民将来の元を訪れ、自らがスサノオノミコトであることを明かし「今後、疫病が流行ったときには茅の輪を腰につけなさい。それを目印に蘇民将来の子孫を助けてやろう」と告げました。
以来、人々は無病息災を祈念して茅の輪を腰につけるようになり、江戸時代ごろから現在のスタイルになったとされます。
スサノオノミコトと茅の輪の関係性
一節によると、茅の輪はスサノオノミコトを象ったものだとされます。スサノオノミコトといえばイザナギ、イザナミ夫婦より生まれし日本神話における三貴神の一柱(神は1柱、2柱と数えます)。神話では荒ぶる神(荒神)として知られる無法者のイメージがありますが、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して三種の神器「草薙剣(天叢雲剣)」を手に入れた英雄でもあります。
スサノオノミコトは父(イザナギ)の怒りを買って追放された形ですが、海の統治を命じられるた水の神(=龍神)です。中国の古い文献によると龍神は「蛟(みずち)」であり、蛇が500年生きた姿かたち。蛟が1,000年生きると龍になり、龍が1,000年生きると応龍(四霊、竜族の王)になるといわれています。
スサノオノミコトは龍の姿形をしていたと考えた場合、茅の輪はとぐろを巻いた蛇(龍)、すなわちスサノオノミコトが自らの姿かたちを象った形代(かたしろ)といえます。自らを模した茅の輪を通じ、神徳により厄災から守護したのでしょう。
夏越祭/夏越の大祓では特別な祝詞「大祓詞(おおはらえのことば)」を奏上
夏越祭(夏越の大祓)では、大祓詞(おおはらえのことば)を奏上するのも特徴です。大祓詞は神道の祭祀で用いる祝詞(のりと)のひとつで、典型となった「延喜式の六月晦大祓」のほかに底本が異なるものが複数存在しています。
大祓式の宣読はもっぱら中臣氏の担当だったことから「中臣祭文(なかとみさいもん)」「中臣祓詞(なかとみのはらえことば)」、略して「中臣祓(なかとみのはらえ)」とも呼ばれます。どちらの呼び方も間違いではありませんが、一般的には神前に奏上するために改めたものを中臣祓、大祓の参集者に宣り聞かせるためのものを大祓詞と呼んで区別することが多いので覚えておくとよいでしょう。
例として、昭和23年に神社本庁より『神社祭式同行事作法 附祝詞例文及解説』として示された大祓詞を引用して紹介します。
原文
高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ちて 八百萬󠄄神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて 我が皇御孫命は 豐葦󠄂原水穗國を 安國と平󠄁けく知ろし食󠄁せと 事依さし奉りき 此く依さし奉りし國に 荒󠄄振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし磐根 樹根立 草󠄂の片葉󠄂をも語止めて 天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき 此く依さし奉りし四方の國中と 大倭日高見國を安國と定め奉りて 下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭 日の御蔭と隱り坐して 安國と平󠄁けく知ろし食󠄁さむ國中に成り出でむ天の益人等が 過󠄁ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 國つ罪み 許許太久の罪出でむ 此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち斷ちて 千座の置座に置き足らはして 天つ菅麻󠄁を本刈り斷ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて 天つ祝詞の太祝詞事を宣れ
此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食󠄁さむ 國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を搔き別けて聞こし食󠄁さむ 此く聞こし食󠄁してば 罪と云ふ罪は在らじと 科戶の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝󠄁の御霧 夕の御霧を 朝󠄁風 夕風の吹き拂ふ事の如く 大津邊に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を 燒鎌󠄁の敏鎌󠄁以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺󠄁る罪は在らじと 祓へ給ひ淸め給ふ事を 高山の末 短山の末より 佐久那󠄁太理に落ち多岐つ 速󠄁川の瀨に坐す瀨織津比賣と云ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒󠄄潮󠄀の潮󠄀の八百道󠄁の八潮󠄀道󠄁の潮󠄀の八百會に坐す速󠄁開都比賣と云ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 氣吹戶に坐す氣吹戶主と云ふ神 根國 底國に氣吹き放ちてむ 此く氣吹き放ちてば 根國 底國に坐す速󠄁佐須良比賣と云ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と云ふ罪は在らじと 祓へ給ひ淸め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食󠄁せと白す
参考|神大祓詞 (神社本庁例文) – Wikisource
たかまのはらにかむづまります すめらがむつかむろぎ かむろみのみこともちて やおよろづのかみたちをかむつどえにつどえたまい かむはかりにはかりたまいて あがすめみまのみことは とよあしはらのみづほのくにを やすくにとたいらけくしろしめせと ことよさしまつりき かくよさしまつりしくぬちに あらぶるかみたちをば かむとわしにとわしたまい かむはらいにはらいたまいて ことといしいわね きねたち くさのかきはをもことやめて あめのいわくらはなち あめのやえぐもを いつのちわきにちわきて あまくだしよさしまつりき かくよさしまつりしよものくになかと おおやまとひだかみのくにをやすくにとさだめまつりて したついわねにみやばしらふとしきたて たかまのはらにちぎたかしりて すめみまのみことのみづのみあらかつかえまつりて あめのみかげ ひのみかげとかくりまして やすくにとたいらけくしろしめさむくぬちになりいでむあめのますひとらが あやまちをおかしけむくさぐさのつみごとは あまつつみ くにつつみ ここだくのつみいでむ かくいでば あまつみやごともちて あまつかなぎをもとうちきり すえうちたちて ちくらのおきくらにおきたらわして あまつすがそをもとかりたち すえかりきりて やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ
かくのらば あまつかみはあめのいわとをおしひらきて あめのやえぐもをいつのちわきにちわきて きこしめさむ くにつかみはたかやまのすえ ひきやまのすえにのぼりまして たかやまのいおり ひきやまのいおりをかきわけて きこしめさむ かくきこしめしてば つみというつみはあらじと しなどのかぜのあめのやえぐもをふきはなつことのごとく あしたのみぎり ゆうべのみぎりを あさかぜ ゆうかぜのふきはらうことのごとく おおつべにおるおおふねを へときはなち ともときはなちて おおうなばらにおしはなつことのごとく おちかたのしげきがもとを やきがまのとがまもちて うちはらうことのごとく のこるつみはあらじと はらえたまいきよめたまうことを たかやまのすえ ひきやまのすえより さくなだりにおちたぎつ はやかわのせにますせおりつひめというかみ おおうなばらにもちいでなむ かくもちいでいなば あらしおのしおのやほぢのやしほぢのしおのやおあいにますはやあきつひめというかみ もちかかのみてむ かくかかのみてば いぶきどにますいぶきどぬしというかみ ねのくに そこのくににいぶきはなちてむ かくいぶきはなちてば ねのくに そこのくににますはやさすらひめというかみ もちさすらいうしないてむ かくさすらいうしないてば つみというつみはあらじと はらえたまいきよめたまうことを あまつかみ くにつかみ やおよろづのかみたちともに きこしめせともうす
現代語意訳
高天原という天上の世界に住んでいるカムロギという男の神様と、カムロミという女の神様が大勢の神様たちに集まってもらいこう言いました。
参考|『絵本 親子で読む 大祓詞物語』(2015年2月17日|発行:神社新報社/文:吉村正徳/絵:深田泰介)
「地上にある日本という国を平和に暮らせる立派な国に作りあげなさい」
しかし地上には不平不満を言って反対する神様たちもいて、天上の神様たちと地上の神様たちは皆で何度も何度も話し合いました。
やがて反対していた神様も理解し、協力してくれるようになりました。
すると岩や木や、葉っぱまでもがこれに賛成し、日本の国は安心して暮らせる平和な国になりました。
そこでカムロギ、カムロミの子孫であるスメミマという神様が天上の世界から雲をかき分け押し分けて、地上に降りてきました。
スメミマは大きな家を建て、日本の国をもっと立派な国にしようと努力します。
しかし地上に住む人間というものはついつい嘘をついたり悪いことをしたりして罪をつくり悪い心のケガレをたくさん溜めてしまいます。そこでスメミマは罪やケガレを消し去り、清らかにする方法があることを教えました。
それは細い木をきれいに切りそろえて、たくさんの台の上に置き、麻の木の皮を細かく切り裂いてお祓いの道具にし、神事を行い、お祓いの言葉である「祝詞」を唱えることでした。
こうすることで天上と地上の神様たちが願いをお聞きになり、罪やケガレは一つも残らずきれいに清められるのです。
それは、まるで雲や霧が風で吹き飛ばされて消えていくようでもあり、船が海を自由に泳ぐ姿のようでもあり、森の木々を切るとまわりが明るくなって気持ちまで爽やかになる様子に似ています。
そうやって消えた罪やケガレは神様たちの力で、広い海に流され、海の底に沈められ、そして深い地下の国に吹き飛ばされて、最後はどこかに行って跡形もなくなるのです。
このようにあらゆる罪やケガレをきれいに消し去り、祓い清めてくださいますことを天上の神様、地上の神様をはじめとするたくさんの神様がお聞き下さいますよう謹んでお祈り申し上げます。
夏越祭/夏越の大祓に特別なものを食べる地域もある
夏越祭(夏越の大祓)には決まった行事食はありませんが、地域によっては特定の行事食を食べることもあります。伝統的な京都の「水無月」のほか、東京を中心に広がる「夏越ごはん」などが有名です。
京都の行事食「水無月(みなづき)」
京都では、白いういろう生地に小豆を乗せた三角形の和菓子「水無月」が夏越祭(夏越の祓)の行事食として愛されています。由来はいくつかありますが、そのひとつが宮中で行われていた「氷の節句」という説です。
宮中では、毎年6月1日に取り寄せた氷を口に含んで暑気を祓う氷の節句が行われます。夏を無事に乗り切れるよう祈願する行事ですが、この時代、夏の氷は貴重品。庶民には手に入れられない高嶺の花だったため、氷に見立てたういろう+邪気を払う小豆を組み合わせたもので代用したのがはじまりといわれています。
東京を中心に広がる新しい行事食「夏越ごはん」
関東では京都の水無月が浸透せず長らく夏越の行事食はありませんでしたが、2015年に公益社団法人 米穀安定供給確保支援機構が米の普及を目指し「夏越ごはん」を提案。夏越の祓の行事食として推進しはじめたところ、日枝神社や氷川神社などが普及に協力したこともあり大きな広まりを見せています。
夏越ごはんの定義は「ご飯(雑穀が理想)」「茅の輪にちなんだ丸い食材」の2つのみ。この条件にそってさえいればよいため、丸いかき揚げ、トマト、きゅうりの輪切り、エビしんじょうや丸いハンバーグなどレシピが豊富なのが魅力です。
夏越ごはんを提供する飲食店は東京を中心に330店舗以上、夏越祭(夏越の大祓)当日は日枝神社や氷川神社のほか多数の神社で無料提供もしています。